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500万年前東アフリカ大地溝帯で直立2足歩行するアウストラロピテクス属(猿人)が誕生しました。180万年前に次の進化段階であるホモ・エレクトゥス(原人)が登場し、アフリカ以外に拡散を始めていきます。
当時、水は雪や氷河となって陸を覆い、海面は低下して、スマトラ、ジャワ、カリマンタンとマレー半島は一体化して 亜大陸「スンダ大陸」が形作られていました。原人はここで進化の道を歩み始めます。100〜65万年前に中部ジャワ サンギランに「ピテカントロプス・エレクトゥス」と呼ばれる原人(旧石器文化を保持)が、20〜15万年前になると、旧人段階に相当する「ソロ人」が、中部ジャワ トリニール付近のソロ川流域に住み着いたのです。


Google マップをコピーしたものです。

サンギラン(Sangiran)

解説 ソロ(正式名はスラカルタ)の北15kmほど。車で20分ぐらい。道路から離れた森の中に位置する、猿人と思われる化石が数多く発見されている場所です。現在では猿人よりはヒト属に属する原人に近いということが分かり、ホモ・エレクトス・エレクトスとされています。サンギラン博物館は、そのジャワ原人の発掘地点の近くにあります。
 サンギランの地層はドーム状で上部を削り取られた構造になっています。ドームの中央に古い地層が露出、外側に新しい地層が分布しているために古い地層から新しい地層まで見ることが出来ます。古い地層からの層序は、下図の様に下から上に、カリーベン累層、プッチャンガン累層、カブー累層、ノトポロ累層から成り、化石の産出層は、カブー累層の下底にあるグレンツバンク帯と呼ばれるビーチロック様の石灰岩層の付近、プッチャンガン累層上部とカブー累層下部と言われています。

サンギラン地域の地層
 サンギラン地域は、20〜300万年前に堆積した厚さ350mもの地層が、数km四方にわたって中央部がもりあがった構造(背斜)をしています。中央部が浸食によってけずりとられているため、場所によって異なる時代の地層が露出しているのを見ることができるのです。(タマネギを切ったときのように、中心部へ行くほど古い地層が露出しています)

 
 

ピテカントロプス7号(サンギラン12号)/頭骨の後部の化石。1965年に、プチュン村から発見された。発見当時は44の破片に分かれていた。年代は8号とほぼ同じで、およそ70-80万年前と推定されている
8号頭骨の発見地点。畑仕事をしている際に発見されたという。
ピテカントロプス8号(サンギラン17号)/1969年にプチュン村の畑で、トゥキミンという名前の農夫により発見された。発見したときに鉄製の農具があたったため、頭頂部が破損している。アジアの原人化石の中では最も保存がよく、顔面形態の詳細がわかる唯一の標本である。
Ng9410の発見地点。新しい破損がないことから、もともとうまっていた露頭(地層の露出しているところ)から洗い出された後、おそらくそれほど長い距離を流されてはいない。したがって、元来の露頭は発見地点の上流で、そう遠くないところにあると考えられる。では候補となる露頭はどれか? その地層の年代は? というように年代を検討していく。
Sb8103/下顎骨の右側の破片。センダンブシ村で1981年3月に発見された。第2小臼歯から第3大臼歯までが保存されている。

ンガンドン

 ソロ川は、ソロの町からケンデン丘陵の南側を東へ流れた後、ンガウィの町で北へ向きを変え、ケンデン丘陵を横切ってその北側へ到達する。ンガンドンは、その途中、広大なチークの林の中にある。
 ンガンドンで古い動物化石が出土することを最初に発見したのは、ドイツ人地質学者のエルバートであったが、その後、しばらくこの遺跡の存在は忘れられていた。1931年にオランダ地質調査所のテル・ハールが再発見し、地質調査所による発掘が3年間にわたって実施された。この発掘で出土した動物化石は、じつに25,000点に上ると報告されている。これらの動物化石とともに、14点の人類化石が発見された。通称ソロ人とよばれるこれらの化石人類は、ピテカントロプスより進歩的な古代型新人の仲間とも考えられている。遺跡の年代はよくわかっていないが、動物化石の種類から10-20万年前とされることが多い。1970年代にはインドネシアのヤコブによる調査が行われ、新たな人類化石が出土している。


ソロ6号頭骨の側面(左)と下面(右)。ソロ人の化石の中では最も保存のよい標本である

サンブンマチャン

サンブンマチャン遺跡は、サンギランとトリニールの中間に位置する。1973年にソロ川の蛇行部に水害対策の運河をほっていた際、偶然に人類の頭骨化石(サンブンマチンャ1号)が発見された。1977年のインドネシア・日本合同調査の際にも、脛骨(すねの骨)の破片(サンブンマチャン2号)が発見されている。化石の年代は不明だが100万年を超えることはない。

サンブンマチャン遺跡全景。乾期には運河は干上がり、その底にある堆積物から多くの動物化石が顔をのぞかせる。
サンブンマチャン1号/年代は不明だが、形態的にはピテカントロプスよりやや進歩的で、ソロ人と同じグループに属すると考えられている。


Google マップをコピーしたものです。 トリニール博物館=B


トリニール(Trinil)

解説  ソロの東100kmほどのKawu付近に位置します。トリニール博物館はデュボアの宿舎跡で、裏庭にトリニールストーンがあります。トリニールストーンにはPe,ENE,175M,1891/93(1891から93年の間に、ここより東北東に175mのところでピテカントロプス エレクトスが発見された)と記されています。
川岸に降りて行くと、ソロ川対岸(東岸)に層序で言えばカブー層の最下部と思われる発掘跡(石灰質で硬い礫層が露出している)があり、ここから脊椎動物の化石が沢山産出し、それに混じってピテカントロプス・エレクタス(1891年、70万年〜100万年ほど前に生存したと推定される猿人かと思われる脳頭骨と大腿骨の化石、ピテカントロプス・エレクタス(通称:ジャワ原人)と命名されました)が発見されたそうです。

ソロ川岸に位置するトリニール遺跡は、100年以上前にオランダ人のデュボワがピテカントロプス1号を発見した場所である。現在でも雨期明けに大量の動物化石が見つかるが、デュボワの発見以来、人類化石は発見されていない。ピテカントロプスの発見を記念する博物館や公園もあり、一般の観光客も訪れることができる。


現在のトリニールの景観。向かって右側の岸(ソロ川の左岸)がデュボワの発掘現場。

乾期には、水面上にデュボワの発掘跡が現れる。
トリニール3号/2号発見の翌年に見つかった大腿骨化石。形態的に現代人の大腿骨と区別できず、デュボワがピテカントロプス・エレクトス(直立猿人)の学名を採用する根拠ともなった。骨幹の部分の出っぱりは病変による。
トリニール2号(ピテカントロプス1号)/1891年10月にトリニールで発見された。ミッシング・リンクの化石発見の第1号として、歴史的に重要な意味を持つ。

テクタイトとピテカントロプスの年代


テクタイトは隕石と関連する物質で、更新世のある時期に、東南アジア一帯に落ちたと考えられている。したがって、その年代とジャワ島でテクタイトの出土する層位が明らかになれば、地層の年代に一つの重要な目じるしをあたえることになります。現在ではこれらのテクタイトが、およそ73万年前のものであることで専門家の意見が一致しています。一方、サンギラン地域のテクタイトの産出層位については、中部カブー層であるらしいことがわかってきました。すなわち中部カブー層は、約73万年前に相当する地層であることがテクタイトにより示されたのです。 

このページは国立科学博物館(http://www.kahaku.go.jp/)を参照させていただきました。

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