セウ寺院 (Candi Sewu)

サングラーマグナンジャヤ王(シャイレーンドラ朝、ダルマトゥンガ息子)が800年ごろにチャンディ・セウを建立、1つの大きなチャンディを中心に340もの小さなチャンディをめぐらせたものであるが、大部分が崩れ、現在に至っても修復されていない。
セウとは「千」の意味で、主堂を取り囲む多数のペルワラに由来、Candi Lumbungの北400mに位置する。入るとゴド(武器)を持った守護神クベラ(地元ではラクササ(巨人)と呼ばれている)が置いてある。750m南に位置するケルラクから出土した782年の碑文に、「スリ・サングラマトハナンジャヤ王(パナムカラナの別名)が建設した文殊菩薩に捧げられた寺院」の記載があり、当初はこれをセウの南にあるチャンディ・ルンブンに比定していましたが、1960年セウの寺苑内から「Manjusrigrha」という寺院を792年に増拡したことが記された碑文が発見されたことで、ケルラク碑文の寺院はセウであり、782年創建、792年増拡と考えられるようになりました。
寺苑は185×165mで、四方中央に巨大な一対のラクシャサに守られた門があります。それぞれの門の約300m先には各方向を守護する守護寺院(東:アスゥAsu (Candi Gana)、西:クロンKulon、南:ブブラBubrah、北:ロルLor #19)がありましたが、明確に残っているのは ブブラ(基部が残存)、アスの二つです。
寺苑中心には内苑(ジェロアンjeroan)を囲む63×63mの囲いがあり、その中心に東正面の主堂が建っています。ジェロアンの周りは計240基のペルワラで4重に囲まれています。このペルワラのエリアが中苑(ジャヴァ・テンガjava tengah)となり、守護寺院エリアが外苑(ジャヴァjava)となって、3つのエリアで大乗仏教の宇宙三界を象徴しているとされています。
主堂は1辺28mで東正面の中央が13×8m突出した基壇の上に、1辺18mで正面前室部分と他3方即室部分が突出した十字型平面の身舎が載るもので、屋蓋部分は失われています。ペルワラは最外側と最内側の列が外側を向いて並び、中の2列は内側を向いて並んでいます。どれも正面に階段のついた正方形平面の基壇上に身舎、段台ピラミッド状屋蓋の頂部が小ストゥーパになっているもので、外向きのペルワラは前室部分の唐破風状屋根が平入り、内向きのものは妻入りになっている部分のみが違っています。身舎壁面には菩薩像が浮彫され、内部には台座に載った転法輪印を結ぶ石仏が納められていました。ペルワラは1基のみ1927-28年に復元され、転法輪印の石仏は数体残存しています。

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