スクー寺院(Candi Sukuh)、チュト寺院(Candi Ceto)

解説3  スクー寺院、チュト寺院はマジャパヒト王国(Majapahit 1293〜1520頃)時代に作られたと記載されていますが、管理人はシンガサリ時代(クディリ朝→シンガサリ王国→マジャパヒト王国)の影響が色濃く残されたモニュメントと考えています。 Wikipedia   プランバナンへ戻る 
 シンガサリ王国は密教信仰とシヴァ信仰が並び行われ、淫靡な密教(同時期の日本にあった「立川流 1114年〜」と類似)を国教にしていました。仏教とヒンドゥー教シヴァ信仰を混合した「カーラチャクラ派」と呼ばれるもので、儀式では飲酒とセックスが行われ、シヴァ神の姿の一つであるバイラーヴァ神(4本腕で、髑髏を散りばめた冠、耳飾り、首飾りなどで全身を着飾った神)を礼拝します。(シンガサリ朝は1222年クディリ朝から国を奪い、血なまぐさい権力争いを経て13世紀末に最盛期に達しますが、1292年カーラチャクラ派儀式でべろべろに酔っていたクルタナガラ王は総理大臣と共に攻め込んできた兵に殺され、シンガサリ朝は滅亡します。)
以下 インドネシア専科より転載
ラウ山(Lawu)」はソロの東方30kmにある標高3265bの死火山である。形の整った山容は霊峰として崇められてきた。クバティナンの霊場であり、瞑想のための修行小屋や洞窟がある。日本でいえば大峰山か白山のような存在であろう。 山岳信仰の証である寺院遺跡が山腹に二つある。一つは900mの所のチャンディ・スク(Sukuh)である。もう一つは1400mの所のチャンディ・チェト(Ceto)である。両寺院とも15世紀に建設されたマジャパヒト王国末期の遺跡である。ジャワ島を蚕食するイスラム教を逃れて、ヒンドゥー教はラウ山に潜(ひそ)んだものであろう。 西斜面にスク寺院の本殿は石段の壇上にありメキシコのマヤのピラミッドを思わせる構造である。ラウ山とスク寺院の配置がバリ島のアグン山とブサキ寺院の配置に対応する。寺院の境内にはワヤンを思わせる石像の人物像がある。ヒンドゥー色よりはイースター島などのポリネシアの遺跡に通じものがあり、巨石文化と結びついた山岳信仰の色合いが濃厚である。 両寺院はエロチシズムで有名である。リンガとヨニの石造物がある。近くの村の掟(おきて)によれば女性はサロンをつけてリンガに跨がねばならぬ。サロンが破ければ不貞の証拠である。


スクー寺院 (Candi Sukuh)

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ソロのホテル(近マタハリ)からベチャ(Rp20000)でティルトナディ・バスターミナルへ行き、karangpandan(Rp6000)行きに乗る。karangpandanからミニバスでnglorok(Rp5000)に向かう。このミニバスは中央線ラッシュアワー混雑以上なので注意すべし。nglorokは道が二股に分かれ、右方向がスクー寺院、左方向がチュト寺院である。ここでオジェッ(スクー寺院とチュト寺院、両方でRp80000)でスクー寺院に向かう。

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チュト寺院 (Candi Ceto)

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チュト寺院は先述のスクー寺院から約7kmほど北に位置する。マヤ文明のピラミッドを彷彿とさせ、スクー寺院とともにジャワの宗教建築としては異彩を放っている。
この寺院は7段のテラスになっており、各テラスにはビマ像が置かれている。最下段の境内には亀をかたどった石畳状のものを中心に、いろいろな動物のモチーフが刻まれている。

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