プランバナン(Prambanan)

解説2 隣接の大乗仏教を奉ずるシャイレーンドラ王国は、周辺国へ遠征、ボロブドゥール寺院、カラサン寺院、セウ寺院などを建設するなど全盛期を迎えます。シャイレーンドラ朝のサマラトゥンガ王が亡くなると、実権はその姉プラーモーダヴァルダニーと夫(サンジャヤ家ラカイ・ピカタン王)に移り、サンジャヤ朝の勢力が増していきます。 ロロ・ジョングラン寺院は856年サンジャヤ朝(マタラーム王国)ピカタン王によって建造を始めます。このような経緯によって、ロロ・ジョングラン寺院近辺は多くのヒンドゥー教と仏教の遺跡が散在しており、一般にプランバナンコンプレックスと呼ばれています。
 サンジャヤ朝は繁栄を続け、バリトゥン王(位899〜910)の時代にはジャワ東部も支配、スラバヤ地方メダン(Medang)に都を築くほどの勢いを見せます。10世紀前半(928年)、ボロブドゥール寺院を埋めるほどのムラピ山の大爆発があり、飢饉、疫病などで古代マタラーム王国は崩壊、シンドック(Sindok)王は、東部ジャワへ落ち延びます。東部ジャワで王家は大いに栄え、文化は造形芸術から演劇や文学、音楽のような観念的な世界に移行していきます。マタラーム王国はジャワのヒンドゥー諸王朝の始祖で、ヒンドゥー文化の影響はその後イスラム教に改宗したイスラム王朝にも引き継がれていきます。
 東部ジャワ メダン王国は992年頃、シュリーヴィジャヤ王国(三仏斉)を攻撃、1016年報復攻撃を受け、王は殺され王国は一時崩壊します。エルランガ(バリ島のウダヤナ王とサンジャヤ王家の王女との間の長男)が1037年、東部ジャワを統一、エルランガ朝国を作り上げ、クディリ朝(1222年まで)へと移行していきます。  ボロブドゥールへ戻る  スクー寺院へ続く
  プランバナン  インドネシア専科


プランバナンへのアクセスと廻り方
マリオボロ1からトランスジョグジャ(trans jogja)1Aで約40分、プランバナン着。 運賃はRp3000。 鉄道はスタシオン・ブランバナン下車ですが、本数が少ないので時間に余裕のある人向き。 バスターミナルから大型バスでソロ、スラバヤ行きに乗り、途中下車する方法もあります。 プランバナンコンプレックス遺跡を廻るのは、細い道の走行などありますからオジェッの利用をお薦めします。(オジェッはバス停あたりに大勢います。09年4月)
ジョグジャカルタ駅近くのインナ・ガルーダ前
マリオボロ1
プランバナンのパサール前 ジョングラン寺院まで徒歩5分ぐらい
プランバナン
ジョングラン寺院からソロ方面へ1kmに位置
ソロ〜ジョグジャ間走行列車

ojek、彼と一日行動を共にした

MAP  (JAYA KUSUMA HOTEL)

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上記以外のプランバナンコンプレックス

Candi Canggal
資料から判断すると一般にチャンディ・グヌン・ウキル(Candi Gunung Wukir)と呼ばれるヒンドゥー寺院で、チャンディ・グヌン・サリの南南東に位置しています。チャンディ・グヌン・ウキルの伽藍は、シヴァ神を祀る東面する主祠堂と、それに正対する三基の副祠堂が配置され、それらを煉瓦造の囲繞壁が取り囲む構成になっています。東南東に向いた主祠堂の方向は、ボロブドゥール−プランバナンを結ぶ角度に近い角度で、遺跡は真後ろにボロブドゥールを、正面はプランバナン方向(北にずれている)を望んでいます。

Candi Gunung Wukir

Candi Gunung Wukirの写真  Candi Gunung Wukirの写真2
写真を見て、手前の石中央に穴が開いていることから土台は石積みで、上部は木造建造物であったと推測する。


チャンディ・グヌン・サリ (Candi Gunung Sari)
資料では西面する主祠堂に正対して、三基の副祠堂が配置されたサンビサリやイジョーと同様(ヒンドゥー形式)の寺院構成になっている。チャンディ・グヌン・ウキルの北北西3.8km、ボロブドゥール−パオン寺院−ムンドゥッ寺院のほぼ直線上8.7kmに位置する。
グヌン・サリはBukit Sari(丘の名前=中心の丘)の頂上にあり、ボロブドゥールとプランバナンの中心と言う意味であったのだろうか。


Google Map 拡大するとGunung Sari近辺は地図範囲外となり、見えなくなる。

Candi Gunung Sariの写真
チャンディ・グヌン・サリ (右下頂上部)、地名は Bukit Sari
Bing Maps ボロブドゥール、パオンは地図範囲外になり、全く見えない


CANDI NGAWEN ネガワン寺院− Mendut(ムドゥ)から東へ5km、竹林の中に建てられたこの寺院は、ボ
ロブドゥールの複合建築の一部でもあります。残念ながら大部分は崩壊したままですが、残された部分を見るだけで
も、これら5 つの建物がどれほど美しいものだったか想像できるでしょう。Dyani 仏像のいくつかは頭を無くしています。
ユニークな、寺院の隅で支柱を支える獅子の像に注目してみてください。


チャンディ・ガンピンガン (Candi Gampingan)
1995年に発見されるまで、地面の下に隠れていましたので完全に修復されていないようです。資料によると8世紀に古代王国マタラム時代に建てられた大乗仏教寺院で、メインの建物(土台)は4.64×4.65m×高さ1.2m。

Candi Gampingan遺跡の写真
Candi Gampingan遺跡レリーフなど
Candi Gampinganの写真 Candi Gampinganの写真など

チャンディ・ゲバン(Candi Gebang)
ジョグジャ中心から北に12キロ、1936年11月に発見されたヒンドゥー教寺院(ジョグジャ最古の仏教寺院であるカラサン寺院より古い)。5.25×5.25m 高さ7.75m。

Candi Gebang遺跡の写真

チャンディ・パヤッ (Candi Payak)

Candi Payak の資料2点はwikimapiaより転載です。
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