見知らぬ乗客(STRANGERS ON A TRAIN)  1:40:43
ニューヨーク行きの列車の車内。偶然向い合わせの席に座ったことがきっかけで、ガイ・ヘインズは誘われるままブルーノ・アンソニーと会話をする。ガイは有名なテニス・プレイヤー。上院議員の娘アンとのロマンスが新聞を賑わせていた。しかし、彼には別居中の妻がおり、その離婚話のためにメトカフへ向う途中だった。ガイが列車を降りる直前、ブルーノは交換殺人の話を持ちかける。「ガイの妻ミリアムを殺害するから、代わりにぼくの父親を殺してくれ。接点のない見知らぬ同志だから、何の手がかりも残らない。正に完全犯罪だ」と。しかし、ガイは笑ってとりあわず、列車を降りる。
ガイは、メトカフのレコード店で働くミリアムを訪ねる。離婚話はミリアムの方から持ち出されており、彼女のお腹の中には別の男性の子どもがいた。しかし、アンとのロマンスを知ったミリアムは急に離婚しないと言い出し、脅迫する。二人は試聴室の中で口論をはじめる。ガイは電話でアンに、ミリアムの首を絞めて殺したいと訴える。
ある晩、ブルーノが男友達と外出するミリアムの後を追った。彼らは遊園地へ行くと、あちこちで遊んだ後、ボートで池の島に渡った。ミリアムが男友達から一瞬離れた隙に、ブルーノはミリアムに近寄る。そして暗闇の中、ライターで本人であることを確かめ、いきなり首を締めた。その晩ガイの前に現れたブルーノは、ミリアムのメガネを差し出し、「今度はお前が父親を殺す番だ。警察に言えば、お前も共犯として逮捕される」と脅す。ガイのまわりには既に警察が動き始めていた。
ガイは警察に出頭するが、アリバイは完全に証明されなかった。ブルーノは頻繁にガイの前に現われ、電話や手紙を寄越してくる。練習試合の時でさえ、観客席からガイを見つめ、遂にはアンらとも親交を図ろうとした。しかし、妹バーバラを見るブルーノの様子が普通ではないことにアンは気付いていた。アンは、ガイがブルーノから交換殺人を持ち出され脅迫されていること、そしてバーバラが死んだミリアムに似ていることを知る。
翌朝アンは一人、ブルーノの屋敷で彼の母親に会うが、母親は息子を全く取り合ってくれなかった。そればかりか、暗くなったらガイのライターを犯行現場に置いてくるとブルーノに脅されてしまう。その日はガイの公式試合の日だった・・・。

無実の人が事件に巻き込まれていく。これはヒッチコック映画の常套手段であり、基本形式です。本作も見知らぬ人から交換殺人を持ち掛けられただけで、犯人と疑われてしまうという、十八番の手口が基本になっています。ガイにとって、ミリアムは最早邪魔者以外の何者でもなく、殺せるものなら殺してしまいたいというのが実のところ本音でした。そこに現われたブルーノも、何かとうるさい父親を忌み嫌っており、自分の目の前からいなくなればいいと考えていました。ブルーノは最初からガイに狙いを定めていたかのように、彼のプライベートなことまで知っており、ガイは知らず知らずその罠にかかってしまいます。そして、ブルーノは交換殺人を実行し、ガイにストーカーの如く詰め寄ります。ガイや、後にアンも、ブルーノが精神異常者であることを悟ります。ブルーノは父を嫌う一方、母親には溺愛されていて、その母親もどこか尋常ではない性質を持っています。しかし、本作でブルーノは決して悪者然とは描かれていません。ヒッチ映画に共通する魅力的な悪者の一人であり、敢えて言うなら、犯した罪の罰として制裁を受けるブルーノよりも、ガイの方が後味の悪さを残しているとも言えます。ミリアム殺害はガイの望むところであり、そのガイだけがヒーローのように最後に残るのはどこかすっきりしません。アンモラルな印象さえ感じられるのも事実です(これはヒッチコック映画の重要なポイントの一つです)。
原作でガイは、ブルーノのいわば口車に乗せられた形で、ブルーノの父を殺してしまいます。そのため、ガイがその罪に苛まれるというのが、物語の後半部の中心的なテーマになっています。アンモラルな殺人という行為の反動で、モラル意識の強いガイが思い悩む様子は、とてもシビアで、救いがたいものがあります。また原作では、人間には二つの顔があるというブルーノの言葉の通りに、ガイの表と裏、正義と悪の部分が克明に描かれ、それは同時にブルーノがガイの裏の顔であるということも示唆しています。
主役のテニスプレーヤー役は『ロープ』のファーリー・グレンジャーが演じています。本作の原作では、ブルーノがガイに同性愛的な感情を抱いていることがほのめかされています。劇中でも、ブルーノのしつこさにそうした面を見ることは可能ですし、実際「好きだ」という言葉も発っしています。ブルーノはガイの影の部分であるという精神分析学的な批評もあるように、ガイとブルーノを対のものとして見ることもできます。ヒッチコックはファーリー・グレンジャーにどういうイメージを重ねたのか、同性愛的なモチーフが隠されていると言われる『ロープ』に引き続き、本作でも再び同じようにメタフォリックな意味を持ちあわせた役を演じさせています。
本作の成功の最大の要因は、そうした犯罪の動機を明確に前に出したことで、内面性を浮かび上がらせた性格設定、非常に計算され、完璧なスタイルを擁した状況設定、そして巧妙かつ徹底したサスペンス操作が、理路整然と、全く抜かりなく、しかもその効果を殺すことなく最大限に生かせたことにあります。そして、観客にとって、ファンにとって、最大の見どころは、何と言っても、様々な小道具や演出など、ヒッチコック・タッチが存分に味わえるということでしょう。それは正直言って、サービス過剰ではないかと思えるほどです。“A to G”の文字が刻まれたライター(“アンからガイへ”。しかし“アンソニーからガイへ”という意味にも取れます)、首を絞める場面が映し出されるメガネ、母親が作ってくれたブルーノのネクタイピン、ブルーノの母親の描く奇妙な“聖フランチェスコ”、バーバラのメガネに映るライターの炎、オオカミが人を食べるように影が動くトンネルのシーン、巨大な白い建造物にポツンと立つブルーノの黒い姿、ボールと一緒に観客の顔の向きが変わる中、ただ一人じっとガイを見つめるアンソニー、下水溝にライターを落としてしまうシーン、操縦不能になった回転木馬のシーン、そして大きなコントラバスを抱えるヒッチコック!・・・・・・。『ロープ』や『山羊座のもとで』では長回しを多用していましたが、本作では映画自体を犠牲にしてしまうようなそうした実験はせず、カットバックやモンタージュを多用し、非常にテンポよく、充実した映像を作り上げています。
ヒッチコック自身は、本作の主演ファーリー・グレンジャーをミスキャストだと言っていますが、無実の罪に落とし込まれるテニスプレーヤーという役に見事にハマっていたと思います。「状況に打ち勝てるもっと強い男にすべきだった。本当はウイリアム・ホールデンを使いたかった」とヒッチは語っていますが、なかなかどうして、いかにして突破口を見つけるかを探り、恋人アンを守り、しかもテニスプレーヤー的な爽やかさがあり、個人的には正解だったと思います。実生活でも精神を病んで亡くなったロバート・ウォーカーの正に真に迫った狂気ぶり、ミリアムに似ていることで新たなサスペンスを生み出すという本作のキーパーソン、バーバラを演じたヒッチコックの愛娘パトリシア・ヒッチコックのバイプレーヤーぶりも実によかったと思います。唯一の欠点は、アン役がもっと華のある女優だったら言うことなしだったでしょう。ルス・ローマンは、ヒッチも認めているように少々地味すぎました。欲を言うなら、署長か尾行の刑事のどちらか一人にでも、印象の強い役者を使ってもらえればと思いました。
本作の脚本に、「ロング・グッドバイ」で知られるハードボイルド作家レイモンド・チャンドラーの名があります。しかし、実際には彼の脚色は殆ど生かされず、名脚本家ベン・ヘクトのアシスタント出身のチェンチ・オーモンドとヒッチコック夫妻の手で練り上げらたそうです。本作のラストシーンはアメリカ公開版とイギリス公開版では微妙に異なっており、アメリカ公開版のほうにはヒッチコックらしいオチがついています。

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