工事中


ボロブドゥール寺院 (Candi Borobudur)

解説1 8世紀頃 シャイレーンドラ(Sailendra)王国はスマトラ島~マレー半島で繁栄、カンボジアを12年間占領したとあります。周辺諸国を荒らし回ったシャイレーンドラ朝は、有り余ったエネルギーと財力でボロブドゥール寺院を建設します。ボロブドゥールは一貫された設計思想のもとに建築された構造物ではありません。ボロブドゥールの建設は780年から833年までかかっていますが、工事は5期にわたって断続して行われ、その都度デザインが変更されています。設計が変更された理由は、石の重みに地盤が耐えられず、崩壊の危険が出てきたためです。
 ジョグジャ近辺にはシャイレーンドラ王国とマタラーム(Mataram)王国(732~932)が存在していました。インド文化の影響のもとにシャイレーンドラ王国は仏教を、マタラーム王国はヒンドゥー教を国教として、ボロブドゥールやプランバナンという世界に誇るモニュメント(遺跡)を残したのです。シャイレーンドラ王国はプカロンガンからの移住勢力で、地域王権はマタラーム王国でした。両国は宗教は異なっていますが婚姻関係で結ばれていました。勢力はシャイレーンドラ王国がボロブドゥール仏教遺跡にみられるように黄金時代だったのですが、徐々にマタラーム王国に統合されていきます。Wikipedia  インドネシア選科

シャイレーンドラ(Sailendra)王国=訶陵(かりょう
 訶陵国の存在は、7世紀前半から中国に知られていました。この国は627~695年にかけて唐に使者を送っていて、中国僧の間では東南アジアの仏教の中心のように考えられていました。
 位置は「訶陵」=「カルン」であり、今はこれに接頭辞と接尾辞のついて「プカロンガン」になっていると考えられます。中部ジャワ北岸にあった仏教国、訶陵。ところが中国への朝貢は、695年を最後に約70年間中断されます。中国の史料には 「8世紀中頃(742年と755年の間)、訶陵の王、吉延(ガジャヤナの音訳)は都を闍婆から、東方の婆露伽斯城に遷し、闍婆城と名付けた。」これは、港湾都市プカロンガンの支配者だったシャイレーンドラ朝がサンジャヤ朝(マタラーム王国)を圧倒して、中部ジャワに進出したことを意味していると考えられます。そして767年からシャイレーンドラ朝の対外膨張が始まり、768年からは「訶陵」の朝貢が再開するのです。プランバナンへ続く


ボロブドゥールへのアクセス
ジョグジャ バスターミナルからボロブドゥール行き直行バス(42km、6:00-17:30)に乗り、約90分で到着する。市内泊の旅行者はトゥグ駅北Jl. Magelangのバス停からのボロブドゥール行きを利用すると便利だ。

ボロブドゥール寺院上空からメラピ山方向を望む

ボロブドゥール寺院 (Candi Borobudur)
最も下に一辺約120mの基壇があり、その上に5層の方形壇、さらにその上に3層の円形壇があり、全体で9層の階段ピラミッド状の構造となっている。5層の方形壇の縁は壁になっていて、露天の回廊がめぐらされる。方形壇の四面中央には階段が設けられており、円形壇まで登れるようになっている。総延長5kmにおよぶ方形壇の回廊には、仏教説話にもとづいた1460面におよぶレリーフが時計回りにつづいている。仏像は、回廊の壁龕(くぼみ)に432体、3段の円形壇の上に築かれた釣鐘状のストゥーパ72基の内部に1体ずつ納められており、合計では504体ある。レリーフは、その構図の巧みさ、洗練された浮き彫り彫刻の技法、細部表現の優雅さで知られ、仏像とともにインドのグプタ様式の影響が強く認められるとされる。ボロブドゥールはまた、その形状から世界最大級のストゥーパ(仏塔)でもある。ストゥーパとは、釈迦の遺骨や遺物などをおさめた建造物であるが、ボロブドゥールは、さらにその内部にも多数のストゥーパを有する特異な構造を呈している。ストゥーパの釣鐘状になっている部分は、一辺23cm大の石のブロックを交互に積み上げ、中の仏像を拝することができるようになっている。漆喰などの接着剤の類を一切用いることなく積まれている。ストゥーパ72基は、全体では三重円を描くように並び、頂上には釈迦の遺骨を納めたとされる、ひときわ大きなストゥーパがあり、天上をめざしている。この中心塔には大日如来を置かず空っぽにしており、大乗仏教の真髄である「空」の思想を強調しているとされ、ジャワ仏教の独自性が示される。ボロブドゥールは、それ自体が仏教的宇宙観とくに密教的宇宙観を象徴する巨大な曼荼羅といわれ、一説には、須弥山を模したものとも考えられている。


パオン寺院 (Candi Pawon)
ボロブドゥールとムンドゥッ寺院を結ぶ直線の中間地点にパオン寺院がある。一直線に並ぶその位置から、この一帯がこれらを含む多数の寺院群で構成された巨大な仏教複合構造物ではなかったのかという推測も持たれている。


ムンドゥッ寺院 (Candi Mendut)

ボロブドゥールの東約3kmにあり、堂内に安置された3体の石造仏で知られる。
右に観世音菩薩像、左に金剛手菩薩像を従えた三尊像はジャワ仏教美術の最高峰ともいわれるりっぱなものです。寺院壁面には8体の菩薩像のレリーフが施されています。


三界の思想
ボロブドゥールの構造は、仏教の三界をあらわしているとされる。つまり、下から、基壇は人間のいる欲界、その上は神と人間が触れあう世界である色界、さらに、その上部が神のいる無色界である。

無色界(ārūpyadhātu)
欲望も物質的条件も超越し、ただ精神作用にのみ住む世界であり、「禅定」に住している世界。

レリーフはなく、幾何学的な建築意匠によって抽象的な悟りの境地が示されており、全体でいわば石上に図解された経典とも呼びうるものとなっている。

色界(rūpadhātu)
欲界の2つの欲望は超越したが、物質的条件(色)にとらわれた有情が住む世界。
回廊のレリーフ方形壇の回廊のレリーフは、歴史上の出来事が中心となっている。釈迦(ガウタマ・シッダールタ)の前世の物語であるジャータカなどを絵巻物風に示し、前世の善財童子が巡礼の旅をする仏教経典『華厳経入法界品』などが描かれており、とくに釈迦の生誕から最初の説法にいたるまでの経緯については史実とともに数々の伝説もまじえて詳細に表現されている。その構図の多様性や人物表現の巧みさはボロブドゥールならではのものである。
方形壇最上層の72面には普賢菩薩の大慈悲心を讃歎する様子が具象化されている。

欲界(kāmadhātu)
淫欲と食欲の2つの欲望にとらわれた有情の住む処。六欲天から人間界を含み、無間地獄までの世界。
、『分別善悪応報経』が160面のレリーフに彫られており、衆生の日常生活を描写しながら因果応報の教えが説かれている。

仏像
吐水口の彫刻回廊の外縁をめぐる壁には432体の仏像が安置されている。仏像は、方形壇の各面で、面ごとに異なった印相を結んでいる。各面4層までの各92体(計368体)については、
   東側…阿閦如来で指地の印
   南側…宝生如来で満願の印
   西側…阿弥陀如来で弥陀定印
   北側…不空成就如来で無畏の印   となっている。なお、第5層は東西南北ともに毘盧遮那仏で法身説法印を結んでいる。円形壇の72体の転法輪印の仏像は釈迦如来と考えられており、このことより、ボロブドゥール全体が密教の系統を引く巨大な立体曼荼羅であるとする説が有力である。


上3層……
 円形の各層(円壇(アルパダトゥ))が同心円上に3段積み重なる。各層には釣り鐘形の小塔(ストゥーパ)(龕(ずし))がそれぞれ32、24、16基、計72基あり、その中に転法輪の印(=一切の障壁を乗り越えて進む仏法を示す)を結ぶ仏像(おそらく釈迦牟尼(しゃかむに)仏)が入っている。最上円壇には大ストゥーパ(仏塔)がある。

下6層……  
 ほぼ方形で、相似形が順次上へ重なっている。第1層(基壇(カマダトゥ))を除く5層(方形基壇(ルパダトゥ))には、回廊(幅約2m)の壁に見事な浮き彫りがある。仏伝、、インド古典説話集『ジャータカ(本生譚(ほんじょうたん))』(仏陀の前世の善行を描く)などを題材にした厚肉のレリーフは全部で1,460面。その他に本来の基壇壁面にも160面の浮き彫りがあったが、現在の基壇の下に隠れ、見られない。一方、壁には仏龕(ぶつがん)があり、計432体の仏像が蓮の花の台座の上に据えられている。
 仏像は向いた方角によって結ぶ印(両手の形と位置)が異なる。
   東向きの仏像……手を地面に付ける「指地」の印(=悪魔を追い払う)を結んだ「阿じゃ(あじゃ)如来(にょらい)」
   南向きの仏像……「満願」または「施与」の印(=何でも願いを叶えてくれる)を結んだ「宝生(ほうしょう)如来」
   西向きの仏像……「弥陀定印」または「禅定」の印(=瞑想中であることを示す)を結んだ「弥陀(みだ)如来」
   北向きの仏像……「無畏」または「施無畏(せむい)」の印(=人々から恐れを取り除いてくれる)を結んだ「不空成就(ふくうじょうじゅ)如来」
 但し第5層では東西南北とも「法身説法印」(=仏陀が説法中に結ぶ印)を結んだ「毘盧遮那(びるしゃな)仏」に変わる。

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